私がまだ女子道を歩いていた若かりし頃、ちょうど社会的にも占いや霊視がブームだったわけ。青二才だった私は、何かを悩んでいるというより単なるネタ作りだったわけだけども、その時に耳にタコができるぐらい「あなた○○の神様にご縁があるよ」「龍にまもられてるよ」「○○に行ってみなさい、これから人生うまく行くから」なーんてことを聞いてきた。

後から考えたらそれなりに不思議な体験をしていたのだけど、その時には、そんなことはどうでもよくて、ただただバンド活動に明け暮れていたわけです。浄靈師になるなんて夢にも思ってなかった。

人生ってホンマに何があるかわからんなー。浄靈師になった今、「あなた○○の神様にご縁があるよ」「龍にまもられてるよ」というおばちゃんたちに今聞いてみたい。

「だからどうなんよ」

こういう世界が胡散臭いと言われる要因の一つに「だからどうなのか」がないことだと思ってる。○○の神様にご縁があるから、龍にまもられてるからどうなんかを的確に腑に落ちるように話したおばちゃん、おっちゃんは一人もいなかった。だからただの娯楽だと思っていた。

ある日突然、変な世界が龍とは一体何なのか、神様とはどういう存在なのかがわかった今、「テキトーなこと言われてたなー」と笑える一方で、私自身の「浄靈師としてどうあるか」はこのおばちゃんやおっちゃんに会ったからなのかもしれんなーと思う。そういう意味では、それも学びやったんやなと思う。まさか自分がその世界に足を踏み入れるとも知らずに・・・。

例えば、○○を浄化するという時、なぜその浄化が必要なのか、それがその人の何を妨げているのかがさっぱりわからなければ相談してもらった意味がないと思っている。だから、私が昔、占いや霊視のおばちゃんやおっちゃんに「だからどうやねん」と思った、同じ気持ちを相談される方に残さないために、「だからどうなのか」はちゃんとお伝えしたいと思う。とても大切だと思う訳なんよ。

数十年経ってもまだまだ溢れている、というかより溢れてしまっている「だからどうやねん」。これは霊感があるからといって人間ができているわけでも良い人であるわけでもなく、この「だからどうやねん」を全くスルーした発言、発信、助言は、その人が何を見て何を学び、何を人生で得てきたのかを見るとてもわかりやすい指標です。霊感だけでこういう仕事はできないというのは、そういう理由からですわ。
まあ、「○○の神様とご縁がある」って言われてご機嫌になれる人は、そのまま来世も頑張ってもろて。