私が小学校4年生か5年生の頃、赤川次郎にはまったのよ。その頃、読みやすい小説として人気だった。ほぼ全作読んだ。新作が出れば田村書店に走る。なつかしっ。
それからは読書とは縁遠く生きてきた。本を読むのが嫌いなのではなくて、読書に時間を割くということがやりたい事が多かった私の読書ハードルを飛び越える気力を奪った。
その私が再び読書に回帰したのは大学の時。と言っても文学をやりたかったわけじゃなくて、英語学を学びたかったのよね。。。
日本人が英語苦手なの、なんでだろう?という単なる人生の疑問の自分なりの答えを探したかった。だけ。
とは言えね、それだけを学べるとこなんてなくて、それをやろうと思うと英文学科しかなかった。英米文学とか1ミリも興味なかった。でも単位を取るためには嫌でも英米文学に身を浸さなきゃならん!つまり「本を読む時間」+「レポートを書くための整理時間」+「レポート書く時間」という時間を割かなければならなくなった。
mustではなく、have toだ。
もちろん好みはあるけど、イギリス文学は蕁麻疹でそうやったわ。もうあの曇天の如く、灰色の雲がゆっくり流れるような文調に、何度となく、滅入るわ〜ってなった。なんでかなあ?すごい脳疲労を起こすのよ。これに同調して美しさを見出すとかもう今世は諦めます。と思ってた。消化不良でもうお腹いっぱい。
って感じのタイミングでやってきた科目が、アメリカ文学。私は、ナサニエル・ホーソーンが好きだった。そう。「緋文字」と言えば知ってる人もいるかも。
でも!私はホーソーンの短編こそ魅力だと思う!
ホーソーンの作品に「ハイデガー博士の実験室」という短篇がある。
若返りの水を手に入れたという博士が、旧友を集めてその水の効力を実験する話。場面も一部屋ですべて完結する。若返りの水を通して描かれる羞恥心を失うほどの人間の欲と哀しさを通して、「今を生きる」とはどういうことか。人間の愚かさ、執着が暴走した人間とはいかに見境なく魔物と化すのかを改めて知ることができる。
ホーソーンの奇妙で独特な世界観は、彼の先祖が魔女裁判の判事だったとか知ると、・・・なんとなくわかる気がする。
そして物語の最後に博士は結論づける。
「もしその泉がまさしく家の戸口の段の所で吹き出しても、私はその中に唇を濡らす為に身をかがめたりしないさ。その夢の様な興奮状態が一瞬の代わりに一年の間であろうとも、私はごめんだ。それが君達が私に教えた教訓だ」
そしてその旧友たちはと言えば、そんな教訓も学ばず、若返りの水が湧く場所に行き、朝昼晩とその水を飲み続ける。こっわ。
ホーソーンの短編が好きなのは、単なる物語じゃなく、小説という名の「人生、行いに投げかける問いそのもの」だから。
今のスピ業界に、若返りの水を飲み続ける人と同じ匂いを感じるのは、私だけかしら?ハイデガー博士のような教訓を得られる人間でいたい。
※気になる方は読んでみてください。30分あったら読めます。
Nathaniel Hawthorne: DR.HEIDEGGER’S EXPERIMENT