欲とトラウマの海から純水は湧き出さない。

自分がこの状態であるかどうかがわからない人が何を引き寄せるのか。
想像に難くない。

人も出来事も物も、目に見えない存在も、この状態とイコールのものしか寄ってこない。

そしてこのドロドロの人がヒーリングをする。浄化をする。

何を渡されるんだか・・・怖すぎる。

だけれど、もしそういう出来事を引き当てたとすれば、それは自分の内側がその出来事とイコールの状態であるということです。
真摯に受け止め、自分の心のパイプ掃除から始めましょう。

私も若い頃、そういう時期がありました。
長く続く辛い状況に卑屈になって、楽しそう、幸せそうな人を見ると怒りが湧くという、それはそれは尖っていた時期がありました。悲鳴嶼行冥の棘鉄球と手斧を心に秘めているような。( ´艸`)
今となっては、何が怒りの発火剤になっていたのかもわからないけれど、私がそれに気づき、意識を自分に向けだしたきっかけは、「両親の看取り」でした。

一般的に見れば、両親の介護は早い方だったと思います。20代で父を30代で母を看取っています。
自分の目に焼き付けた「命の灯」、両親の心の葛藤、そしてそれがその役割を終える瞬間に、命という灯が照らすのは、「自分の中なんだ」と教えてくれた気がしました。
喜びも悲しみも、苦しみも怒りも妬みも、創り出すのは自分の内側。そしてその自分が創り出したものの力と同じ種類・同じ強さの出来事が、物が、人が集まって人生を形成していく。

嫌なことが続くとき、嫌な人に出会う時、嫌な部分を目にする時、それは教えてくれています。

「あなたの中の負に呼応するものに意識を向ける時ですよ」